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sio

Author:sio
自分の暮らす街が世界で一番素敵と思える場所になったら、こんな便利なことはないだろうな。海外旅行に行くお金もない貧乏学生時代、よくそんなことを思った。

いま、曲がりなりにも”大人”と呼ばれる年齢になり、これまで見聞きしてきたものを通してこう思う。「社会」とは、ただそこにそびえ立っているのではなく、手を伸ばせば確かに届く位置にあるものではないかと。ちょっと触れたり、手を加えることで、格段と良くなる可能性を秘めたものではないかと。

圧倒的シェアを持つ県紙が一つ・民放は2社。そんな情報過疎とも呼ばれる宮崎で、第二の県紙、を掲げるのは少しおこがましいが、ここ宮崎に暮らす人に少しでも新しい発見をしてもらえるような、「自分が生きていくと決めたここ宮崎も、そんなに悪くないな」と誰かに思ってもらえるような、そんな情報を発信していければと思っている。

宮崎に縦横無尽に広がっている、たくさんの道を、ひとつひとつ、寄り道しながら。

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【コラム/道草】起きてからでは遅いもの 
2008/01/22 Tue 02:06
  新しい1週間が始まったが、雨降りの月曜ということもあり、眠たさの残る一日だった。先週末はとにかくよく寝た。その前の平日5日間で何かと睡眠不足の日が続いたからだ。理由はさまざまだが、一番の理由は「1月17日」があったこと。1995年の阪神・淡路大震災からこの日で丸13年を迎えた。

 震災後の7年を神戸で過ごした私にとって、この日は人生を見つめなおす日だ。この日の前後は妙に焦燥感に駆られる。遅くまで会社に残り、いつもはやり過ごしてきた懸案事項にかじりつきたくなる。自宅に帰ってからも書類を引っ張り出し整理したくなる。何かやらないと落ち着かない。特に前日の16日の夜中にはふと考える。いまこの場で震度7の地震が起きたら。この寒さの中、外に投げ出されたら。あの日の朝を想像する。

 神戸にいたころ、当時勤めていた地元テレビ局のスタッフとして、1月17日の朝はいつも東遊園地の震災のつどいの会場にいた。底冷えの中、平日にも関わらず早朝から続々と集まり、ろうそくに火を灯し、手をあわせる人たちの姿から、震災で受けた心の傷は、癒されることはあってもけして消えないことを知った。
 「どうして助けてやれなかったのか。昨年から今日までの一年で何が変わったのか。自分たちは何をやれてきたのか。なぜ神戸だったのか―」。震災発生から年月がたち、そんな、口には出せないが本当は口に出したい、叫びや苦しみを抱えて生きていかねばならないつらさを、私は出会った多くの被災者から教えてもらった。以来ずっと、被害というのは、起きてからでは遅いということを、胸に刻んでいる。
 
 いま、会社に勤め、組織の一員として社のお客様窓口の仕事をしていて思うのは、何か問題が起きるときというのは、突き詰めていくと「誰かの仕事のし忘れ」なんだなということ。まあいいか、これぐらいなら大丈夫。そんな日常の仕事の手からこぼれおちてしまったものが積もり積もって、事故や災害が起き、場合によっては人が亡くなる。亡くなった命はけして戻らない。起きてしまってからでは、償えない。
 願わくば、自分の手からそんな悲しみは生み出す一年に、なりませんように。
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【コラム/道草】年の初めに 
2008/01/03 Thu 23:59
青空080103_1326~01

 2008年の幕が開けた。
 正月3が日がすべて快晴だったこともあり、気持ちのよいお正月が過ごせた。居間でお正月番組に笑い、時折窓の外の青空を眺めながら、ああ幸せだなと思った。家族が健康で、仕事があって、豊かではないが生活をしていけて。平穏であることの幸せをしみじみ思った。同時に気になった。あの人たちはいま、どうしているのだろう。
 
 「あの人たち」とは、昨年、内部告発をした人たちだ。一年を表す漢字が「偽」になるなど、昨年は数々の偽装が明らかになった年だったが、その多くは内部告発によるものだった。「不二家」「ミートホープ」「白い恋人」しかりで、農水省の「食品表示110番」には、昨年10月時点で過去最多の697件もの情報提供が寄せられた。年末の振り返り番組で、相次いだ偽装問題に対し「本当に嫌な一年でしたね」と顔をしかめる解説者がいたが、どっこい、明らかに社会がいい兆候を示した一年だった。何年も続いてきた隠ぺいに嫌気がさした現場の人々が、内部告発という形で終止符を打った。そんな一年に私の眼には映った。
 
 だが課題も多く残された。内部告発の、その後だ。
 縦割り行政の弊害で、内部告発が放置されるケースが相次いだ。問題となったのが、食品衛生法とJAS法の線引きで、食品衛生法に基づく食中毒などの衛生面の監視が保健所、JAS法に基づく産地や原料・賞味期限などの表示偽装の監視は都道府県と、それぞれ所轄が分かれているのだが、先に聞きなじみのある保健所に告発したところ、「衛生上は問題ない」と判断され、詳しく調査されず、また都道府県の担当部署にも積極的な働きかけをしていなかったという事態が発覚した。結果的に関連部署の連携不足を表面化させ、現在、消費者団体からは、法律を「食品表示法」、行政を「食品庁」にそれぞれ一元化すべきだという提案が上がっている。この食品衛生法とJAS法の一元化論は、02年からすでに厚労省担当部局の懇談会でも議論されてきた問題で、今後どう実現させていくかが問われている。
 
 もうひとつの課題は、内部告発後の内部告発者および該当会社社員の救済だ。
 2006年に内部告発者の保護を目的とした公益通報者保護法が施行され、内部告発者に対する解雇や減給その他不利益な取り扱いを無効とすることが定められた。だが、昨年一年間で一番多かった食品偽装の内部告発では、中小規模の事業所が多かったこともあり、内部告発後に会社自体が倒産するケースも少なくなかった。偽装発覚後、全社員解雇をすぐに言い渡したミートホープの会社を、悔しそうに出ていく40代ぐらいの女性社員たちの映像が忘れられない。相次ぐ偽装事件を総じて「社会全体の事なかれ主義」と批判する声もあるが、それはきっと正社員でしか働いたことがない人の視点だろう。正社員ですらいいにくい指摘を、どうして立場の弱い非正規雇用の社員が口にできるだろうか。避難されるべきはあくまでもトップであり、一般社員ではない。そして、その会社組織が崩壊したときに、一般社員が新たな職場で働けるよう、先ほどの一元化論の連携の輪にハローワークも加えてフォローする姿勢を示さないと、消費者にとって有益なはずの内部告発は、今後根付いていかないのではないか。職を失い、また求めようとしても、履歴書に書いた前職の会社名を見て差別されるようなことがあれば、きっとその心のうっ屈は新たな悲劇を招くだろう。偽装問題に対してのしわよせが一般社員に行くようなことがあってはならない。

 昨年、内部告をした人は、今年どんなお正月を迎えたのだろう。せめて家族に「お父さん(お母さん)は正しいことをしたんだよ」と胸を張って語っていてほしい。こういった人たちが報われる一年になることを、祈りたい。
【コラム/道草】たとえ公民館からでも 
2007/10/07 Sun 05:42
 最近、縁あって「ひむかの砂浜復元ネットワーク」の勉強会にちょくちょくおじゃましている。昨夜もそうだった。20時の時点ですでに辺りが真っ暗になるようなひっそりとした集落のなかに、ぽつんと洩れる公民館の灯り。そこに一人、また一人とそれぞれの仕事を終え、若者たちが集まってくる。この光景をみるたびいつも、胸がじんとする。

   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   
 大学時代、地元を離れ、関西で学生生活を送った。卒業論文の時期にはテーマの住民運動の研究のため、神戸・大阪・京都の各地を回った。500円もあれば隣の県にいける関西圏の住民は社会問題への意識も高く、どの集会所でも「自分たちが明日の世論を動かすんだ」という熱気がみなぎっていた。住民側に立って堂々と発言する大学教授の姿も少なくなかったし、追いかける新聞記者も必ず一人はいた。

 地元に戻り、数年後、趣味のボディボードを通じて赤江浜の訴訟を知った。初めて彼らの集会を見に行ったとき、自分がこれまで見てきた関西の住民運動との落差に驚いた。椅子も机も、まして取材する記者の姿もない。知識も経験も乏しい参加者たちが車座になり、細々と今後を話し合っている。その姿はとても心もとなく、途方に暮れているようにも見えた。これが「九州」であり、「宮崎」の現状なんだと思った。

   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 先の赤江はその後地道に運動を続け、今月末には裁判官による海岸の現場視察が予定されるなど、努力が少しづつ実をつけ始めている。
 一方の住吉・佐土原海岸は、ようやく「ひむか砂浜復元ネットワーク」と工事予定地の住民が勉強会を始めるなど、まだスタートラインに立ったばかりだ。「どうにかして自分たちの海を守りたい」と参加を始めた地域の若者たちの中には、勉強会を重ねる中で感じる問題の大きさに、弱音を漏らすものもいる。だがそれでも毎週、彼らは集まるのをやめはしない。変わらないかもしれない。もう遅いかもしれない。それでももっと多くのことを知りたい。いまできることをやりたい。見ていて、そんな思いが伝わってくる。
 
 いま、彼らは自分たちの思いを少しでも形にしようと、署名運動の準備を始めている。その先には、これまで同じ社会でつきあいをしてきた地域住民との衝突もあるだろうし、何より「県民性」とも呼ばれてきた行政に意を唱えるのを良しとしない風土との戦いが待っているだろう。だが、この公民館に夜な夜な集まり、ああでもない、こうでもないと悩み議論した一日一日の積み重ねから、自分たちの未来の社会が作られていることを実感してほしい。たとえ九州の片田舎の、小さな公民館からでも。

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【コラム/道草】そこに正しい情報はあるか 
2007/08/26 Sun 20:30
 その対談のテーブルに、どれだけ正しいサーフィンの知識が載っていたのだろう。
 
 25日付の西日本新聞宮崎県版で、国の予算要求を前に、県庁で国交省九州地方整備局の幹部と意見交換をした東国原英夫知事に対し、小原局長が「海岸はサーファーにとっても魅力で定住してもらう要素がある」と、現在予定されている海岸整備の早期事業化に前向きな姿勢を示す発言をしたことが紹介された。
 
 一見、サーファーにとって朗報のように聞こえる。だが、現在予定されている国交省案は、一ツ瀬側からオーシャンドーム前の約9km間にT字型突堤とよばれる構造物を1km間隔で7基入れ、砂を補給する養浜を組み合わせた工法だ。これに対し、地元に住みついた県外サーファー達からは「構造物は入れないでほしい」という声があがっている。理由は、県外からくるサーファーの多くがこの「何もない」海岸を求めてきているからだ。
 
 現在、特集「みんなの海へ」で海岸侵食問題を取り上げている。同時に宮崎になぜこれほどまでにサーフィン客が来るのかについても調べているのだが、調べれば調べるほど、宮崎の海岸の価値の高さに驚かされることが多い。視野を国内だけではなくアジアにまで広げると、アピールしだいによって、「第二の北海道」とも呼べる大陸から観光客を呼べる要素を秘めている。このことを東国原知事をはじめとする九州の各県知事たちはどれぐらい理解しているのだろうか。先の九地整局長は、どれぐらいそのことを認識して、あの発言をしたのだろうか。
 
 どんなによかれと思って行ったことも、正しい情報をもとにしていなければ無になることがある。住民のさまざまな意見をくみ上げること自体が大変な行政の仕事においては、よくあることでもある。これまでも、現場の声を反映していない政策が行われては、その後、住民との対立を生みだしていた。
 今回は、そうならないでほしい。
【コラム/道草】至福の横顔 
2007/07/30 Mon 03:38
 先週末、宮崎市内で行われた野外ライブにでかけた。宮崎の夏の風物詩の「フェニックスJam Night 2007」。会場となったフェニックスイベントスクエアの芝生広場には、15時の開場とともに思い思いのキャンプグッズを手にした観客が訪れ、緑の芝生の上にチェアやシートを広げ、仲間とお酒や食事を囲みながら、心地よい夕暮れの風と目の前の音楽を楽しむ様子が見られた。

 このイベントの最大の特徴は、その観客層の幅広さだ。ジャズをメインとした「フェニックスJAZZ INN」が始まったのが31年前。その後、ポップスなどほかジャンルも加えた「フェニックスJam Night」に変わり、現在のノンジャンル・スタイルになった。以前からの「JAZZ INN世代」と新たな「Jam Night新世代」。さらに、まったく席の仕切りを設けない芝生会場の開放感から、日頃はコンサートになかなか出かけられない小さな子供連れの夫婦も多く、気づけば同じ曲で、赤ちゃんも若者も中年も踊っているという、幸せな光景が、この日何度も見られた。

 また印象的だったのは、中高年世代の「至福の横顔」だ。
 この日イベントの最後を飾ったのは、マニラ出身の本格派ジャズシンガー・マリーンだった。マリーンは、1986年に発売された角川映画「キャバレー」の主題歌「レフト・アローン」で有線放送の洋楽チャートNo.1に輝くなど、80年代に一世風靡したシンガーのため、現在中高年になってしまった、かつての”若者”たちの姿も会場には多く、マリーンがステージに登場すると、普段は会社で部長や課長と呼ばれるだろう年代の彼らが、一瞬にしてかつての時代の顔に戻っていく様子があちこちで見られた。
 その横顔の輝いていたこと。
 勢いよく口笛を鳴らすもの、体をくゆらせながら満面の笑みで音楽を体中に感じているもの、ただじっといまこの場にいる喜びを味わっているもの。ステージ上の光を浴びた観客席の彼らのその横顔こそ、きらきらと輝いており、しばし見とれてしまった。それは、近年、うつや自殺という社会問題が大きく取り上げられることが多い中高年のイメージを、気持ちよく裏切るものだった。
 「音楽っていいね」。この日そうステージ上で何度もつぶやいていたアーティストがいた。だがそれともう一つ。「年をとるのっていいね」。そう実感した、夜だった。
 
 宴のあと



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