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プロフィール

sio

Author:sio
自分の暮らす街が世界で一番素敵と思える場所になったら、こんな便利なことはないだろうな。海外旅行に行くお金もない貧乏学生時代、よくそんなことを思った。

いま、曲がりなりにも”大人”と呼ばれる年齢になり、これまで見聞きしてきたものを通してこう思う。「社会」とは、ただそこにそびえ立っているのではなく、手を伸ばせば確かに届く位置にあるものではないかと。ちょっと触れたり、手を加えることで、格段と良くなる可能性を秘めたものではないかと。

圧倒的シェアを持つ県紙が一つ・民放は2社。そんな情報過疎とも呼ばれる宮崎で、第二の県紙、を掲げるのは少しおこがましいが、ここ宮崎に暮らす人に少しでも新しい発見をしてもらえるような、「自分が生きていくと決めたここ宮崎も、そんなに悪くないな」と誰かに思ってもらえるような、そんな情報を発信していければと思っている。

宮崎に縦横無尽に広がっている、たくさんの道を、ひとつひとつ、寄り道しながら。

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【レポート/住吉海岸シンポジウム2007】④「2007」に込められた思い 
2007/11/05 Mon 05:39
20071102031704.jpg


 今回、会場に入りまず目についたのが、「住吉海岸シンポジウム2007」の看板だった。シンポジウム終了後、このタイトルをつけた主催者の一人に「2007」とつけた理由を聞いた。すると男性は、「いや、なんとなく」とはにかんだだけで、詳しくは教えてくれなかった。だが、この看板につけられたものこそが、彼らの思いを象徴しているように思えた。祖父や父が手を引いて連れて行ってくれたあの砂浜を守るんだ。来年も、再来年も―。
 
    ×          ×          ×    
 今回のシンポジウム開催までの道のりは、けして平たんではなかった。 
 地元の海がこれからどうなっていくのか。サーフィンなどで海を利用することの多い彼らは、侵食が進んでいることを早くから知っていた。だがヘッドランドの計画を知った時は、「これからどうなるんだろう」と仲間内で話すのが精いっぱいだった。どう動けばいいのかわからなかった。
 
 8月、懇談会や説明会などを通し、「ひむかの砂浜復元ネットワーク」の勉強会に参加するようになった。その後各自が勉強を重ね、「もっと多くの地元の人に、すぐそばの海岸で起きている問題を知ってほしい」とシンポジウム開催を決めた。地元出身の若者を中心に「住吉海岸を守る会」という会も立ち上げた。
 
 実は、シンポジウムの2週間前にも、地元の人と話をするチャンスがあった。
 旧住吉村の宮崎市への編入合併50周年を迎えた地元では、10月13・14日の両日、「50周年祭」と称したイベントの開催予定があった。「住吉海岸を守る会」のメンバーは、当初このイベントへの参加も申し込んでいた。申込時期の関係で、主要ブースは借りられなかったが、空きスペースでブースを開いてもいいと話を聞いていた。メンバーたちは互いの仕事の合間をぬって、地元のお年寄りに昔の地引網の写真を借りたり、現在の海岸の様子を写真に撮るなどして、準備を進めていた。
 
 会の主催者から「中止要請」が来たのは、パネルができあがった、イベント前日のことだった。 
 
    ×          ×          × 
 「住吉海岸シンポジウム2007」当日の朝。10時の公演開始を前に、手際よく会場を設営するメンバーたちの姿があった。事前にタイムスケジュールも作り、垂れ幕や看板も準備し、マイクチェックを行う。2ヶ月前、「ひむかの砂浜復元ネットワーク」の勉強会で、「何をすればいいのか教えてほしい」と切羽詰った顔で言っていた横顔はそこにはなかった。自分たちで考え、行動し、発信していく。自分たちが守ると決めたもののために、できることをやる。覚悟とすがすがしさが、会場には満ちていた。
 
 シンポジウムは準備した100席がほぼ埋まった。テレビカメラ3台、新聞社数社も取材に来た。同時期に始めた署名活動も、順調なスタートを切った。
 シンポジウムの最後に、「住吉海岸を守る会」代表の泥谷さんは、父親との砂浜の思い出を語った。いまは亡き父のことを思い出す場としての砂浜の風景を、ヘッドランドで大きく変えられたくない。その思いから会を結成したことを明かした。ほかのメンバーも多かれ少なかれ、地元の砂浜をただの「砂浜」としてではなく、「誰かと過ごした砂浜」としてかけがえのないものと感じこれまで参加してきた。その思いを代弁するものだった。 
 
     ×          ×          × 
 夜、メンバーが打ち上げをしている居酒屋をのぞいてみた。みな、シンポジウムをやり終えた達成感でほろ酔いだった。
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