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プロフィール

sio

Author:sio
自分の暮らす街が世界で一番素敵と思える場所になったら、こんな便利なことはないだろうな。海外旅行に行くお金もない貧乏学生時代、よくそんなことを思った。

いま、曲がりなりにも”大人”と呼ばれる年齢になり、これまで見聞きしてきたものを通してこう思う。「社会」とは、ただそこにそびえ立っているのではなく、手を伸ばせば確かに届く位置にあるものではないかと。ちょっと触れたり、手を加えることで、格段と良くなる可能性を秘めたものではないかと。

圧倒的シェアを持つ県紙が一つ・民放は2社。そんな情報過疎とも呼ばれる宮崎で、第二の県紙、を掲げるのは少しおこがましいが、ここ宮崎に暮らす人に少しでも新しい発見をしてもらえるような、「自分が生きていくと決めたここ宮崎も、そんなに悪くないな」と誰かに思ってもらえるような、そんな情報を発信していければと思っている。

宮崎に縦横無尽に広がっている、たくさんの道を、ひとつひとつ、寄り道しながら。

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(1/20)【きょうの候補者の動き⑧】 
2007/01/20 Sat 23:40
 夜も更けて各候補者の動き。18時からは中央交差点、ボンベルタ横でそのまんま東氏が街頭演説。朝と同様、居並ぶ報道各社を出し合いに「宮崎の鶏が安全だということを、全国にアピールしていくんです。この集まった報道人の方に、伝えていくんですよ。私は何も、芸能人だったことを自慢しているんじゃない。(この自分の特性を)県民の皆さんが利用してくれればいいんです。」。
 東氏の演説が終わって5分後、喉を枯らしながら「国との太いパイプで経済を再生していきます」と選挙カーで中央交差点に入ってきたのが持永氏。持永陣営はそのまんま陣営を威嚇するようにそのまんま東事務所近くに選挙カーを止め、選挙カーから降りた持永氏とともに、最後の握手遊説をしに街に消えていった。
 その他候補者も、選挙活動終了の20時直前まで選挙カーに乗り込み、最後のお願いに方々へ繰り出した。そして20時。17日間の熱い戦いがひとまず表の幕を下ろした。
 070120_183928_M.jpg


主要候補者二人の選挙運動時間終了後の動き。

***
 19時45分、川村氏の選挙事務所では帰陣式が行われた。選挙カーに乗った川村氏を、外に出て待っていた支持者や後援会スタッフらが、花道を作ってお出迎え。車から降りた川村氏に対し、選対本部長が帰陣挨拶。選挙期間を共に戦ったウグイス嬢代表が17日間を振り返り、初日の椎葉での窓から吹きすさぶ風が冷たかった話などを語ると、他のウグイス嬢からは時折涙ぐむ姿も見られた。
 その後陣営は選挙事務所内の、100畳ほどのスペースに場所を移し、選対本部長二人、川村氏、川村氏の妻、そして本部長の順番で挨拶をし、最後は明日の投票に向けての決起集会のような形で式を締めくくった。
 綾の前田町長も含めた二人の本部長は、それぞれの挨拶の中で何度も「こんな素晴らしい方が宮崎にきてくれた」と発言。すでに長老の風格のある本部長二人の様子と、その隣に座る川村夫妻の非の打ち所のない所作を見ていると、まるで由緒正しい王族を迎え入れたどこかの国のように見えた。
 その敷居の高さゆえか、事務所内に場所を移しての帰陣式の最中、100畳の畳は支援者で埋まらなかった。人は集まった。だが、集まった支持者のうち、川村氏を囲む畳の席に歩を移したのは、半分程度だった。ほとんどの人が事務所内の床張りのフロアに立ったままだった。集まった報道人に対し写真の映りが悪かろうと、司会者が「皆様どうぞ遠慮なさらず、川村の声が届きます畳のほうへお越し下さい」と、3度も催促をしたのが印象的だった。
 後援会も危機感を感じたのか、最後の応援演説では「皆様、選挙運動期間が終わったといっても、まだ(東氏と)横一線です。今日この会が終わってから明日の朝までに一人10人、一人10人に電話をかけましょう」と呼びかけていた。



***
夜9時過ぎのそのまんま東事務所前。依然として減らない報道陣や一般人の現状に、報道各社に対してインタビューの機会が設けられた。以下一問一答。

 
選挙期間中を振り返って何が一番大変だったか?-
-選挙をこれまでやったことがないスタッフがほとんどだったので大変だった。例えば事務所を借りる一つとっても、車一台を借りる一つとっても。だがその分手作りでできた。県内各地を回ったが、宮崎県ってこんな風になっているんだ、こんなところに人がこんな人が住んでいるんだと、今まで知れなかった宮崎を知れてよかった。宮崎にまだ眠っている潜在能力を知れたし、ああこの県は大丈夫だなという確信も持てた。

 
手ごたえは?―
―当初はあくまでも芸人としての対応、リアクションが多かった。変化を感じたのは中盤あたりの皆さんのまなざし。宮崎を変えてほしい、どうにかしてください、あなたならどうにかできる。そういった期待を託されるものに変わった。宮崎をどげんかしていかんと心の中に思っていた人たちが物を言う有権者に変わっていったように思う。

 
逆風の中での選挙だったが?―
―私は確かに不祥事を起こしたが、それを反省し、立ち直るプロセスを評価してほしいと申し上げてきた。これから宮崎は(官製談合や鳥インフルでついた)イメージを払拭するための施策を行っていかなければならない。私の反省し、改善策を見つけていくプロセスは生かせると思う。
 

選挙期間中の思い出は?―
―ノートに書ききれないぐらいだ。また非難されるかもしれないが、本当に、一冊の本が書けるぐらいのものがある。人が少ないなか、県内4800箇所全部に2,3日でポスターを貼らなければならなかったこと。中にはおでこに「肉」とイタズラ書きされたこと、逆さに張りなおされていたこと、いろいろあった。選挙カーから外に向かって手を振る癖がついてしまって、誰もいない中山間地では、空に向かって手を振った。ありがとうととんびに向かって手を振った。他にも、選挙カーが途中で壊れたり、告示直前に主要スタッフが倒れたり。いろいろあった。
ただのタレントとしてジョギングしているときは誰もが笑って手をふってくれたが、いざ選挙が始まった途端、意図的に無視されたことが何割かの割合であった。敵意の眼差しを向けられる方にも、なんらかの事情があるのだと思うが、本来であれば普通に手を振りたかったのではないかと思う。(一晩にして敵味方に分かれさせられることに対して)辛いだろうなと思ったし、これが政治なのかと肌身で感じた。


どういう訴えが届いたと思うか?―
―宮崎を変えたいという思いと、どのようにしたら変わるのかを具体的に表示したことではないかと思う。 


やり残したことは?―
―県民全員と会うことが目標だったので、それが叶えられなかったことが残念。また、せっかく自分に会いにでてきてくれたのに、時間の都合で手をにぎれなかったときには身を切られる思いだった。

 
分かれたご家族からは何か連絡あったか?―
―元妻からは告示前がんばってとメールをもらったし、ワイドショーの報道で応援していると言ってくれてたのを見た。息子からは「誠実でいてくれ」とメールをもらった。
 

投票できないことに関しては?(※転居手続きが間に合わなかった)―
―一票の差で負けたら自分のせいだと思う。
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